NPONAP 植物資源の力~ 植 物 資 源 の 力 ~     
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 amazon paper
プロローグ・物語の始まり
 1998年の冬の始まりの頃、いきなりの電話だった。相手は、「ライフスタイル」という考え方などこれまでに数々の流行を作り出した今井俊博氏だった。「これから高知まで来て、アマゾンからの客を案内してくれないか。」高知は、自分が紙漉きを学んだ地である。そこで初めてPOEMARのナザレ・インビリバ女史とJBN・日本ブラジルネットワークの泊みゆきさん(現バイオマス・インダストリアル・ネットワーク研究会理事長)と出会った。彼らとの出会いが、それから10年近くも続くアマゾンでの活動の始まりだった。
 JBNは、故原後雄太氏の提唱でできた日本と南米ブラジルの架け橋役を努めていたNGOの草分けで、ベンツ・ド・ブラジルとの間で植物系農産廃棄物であるココナッツの実の繊維と生ゴムから使い終われば土に戻せるクッション材を作り出すことに成功したPOEMARを日本に紹介するためにナザレさんたちをJICAの事業として日本に迎え入れていた。
 POEMARは、ブラジル東部アマゾン・パラ州にあるブラジル国立パラ連邦大学の先生方がアマゾンの「貧困と環境」の改善のために作り出したPOEMAシステムを実行し、その成果をフィードバックさせる社会実験を行う大学内NGOだという。
 アマゾン 東部アマゾン州ベレン市 
picロサンゼルスやニューヨークを経由してサンパウロまで24時間、
そこからさらにブラジル国内線で6時間、アマゾンまでは30時間の道程だ
pic活動先POEMA アマゾンペーパーは、東部アマゾン州ベレン市にある。
東部アマゾンの素顔
アマゾン川の周辺
picアマゾン川の周辺は湿地帯で、バルサ(渡し舟)で繋がる小さな島の集まり。
 アマゾンといえば、とにかく自然なジャングルのイメージが強い。実際、人の住まないところに足を踏み入れれば、世界最大の熱帯雨林そのもので、陸と川の境がつかない湿地帯といってくらいである。
 かつて自由貿易港であったべレン市を中心に東部アマゾンは、世界の工業原料供給地であった。木材、ボーキサイト、鉄鉱石等が大量に輸出され、その労役を担ってきたのが18、19世紀にアフリカから連れて来られた黒人奴隷たちと15世紀に上陸、侵出したポルトガル人、その後移民を果たしたヨーロッパ系の人々、原住民インディオがミックスしたカボクロあるいはフィベリーニャ(川縁の民)と称される人々だった。現在では、貧困層の人々を指してカボクロ、フィベリーニャという。資源の枯渇と自然破壊、環境保全からブラジル政府は、自由貿易港を中流域にあるマナウスに移し、パラ州の開発に制限をかけた。結果、労役を担ってきたカボクロたちが取り残された形になった。
アマゾン タパジョス川
picサンタレン周辺のアマゾン対岸のように見えるのは、
中洲、対岸までは50kmの彼方である。
picサンタレンでアマゾン川で合流するタパジョス川、
ほとんどの川が茶褐色に濁っているのにこの川は澄んでいる。
上流では、ガリンペーリョ(砂金取り)が大量の水銀が使っている。
 ベレン市 ベレン市 ベレン市
 ベレン市は、人口120万人の大都会である。その内40万人は、職を持たずに暮らしている。どうやって暮らすかは、簡単に想像ができる。職を持っているといっても多くのカボクロは、男も女も月々1万円弱の給金でお手伝いさんとして働いている。10年位前のニューズウィークは、彼らを程の良い有償奴隷と称した。貧困は、教育の機会を狭め、悪循環が繰り返される。
 ベレン市内  ベレン市内 ベレンの港  サンタレンの近くの村
 picベレン市内 picベレン市内、街路樹はマンゴ  pic ベレンの港 picサンタレンの近くの村 
カバクロの家 学校 ベーローゾーン アバンテチューバの近郊
picカバクロの家 pic学校  picベーローゾーン
(別名 泥棒市場)
pic ベレン市の衛生都市
アバンテテューバの近郊
緑の大地が白く枯れていく
アマゾンにある樹木の特徴に板根がある。その根は複雑に折り重なっていて、昔は、大きな板根を叩いて信号伝達に使ったそうである。
湿地帯のようなアマゾンは、乾季であれば地面が表出しているが、雨季ともなれば、多くの場所が冠水して水没してしまう。いったん水没した地面が表出する時に水と一緒に表土が流されていくのを防いでいるのが、重なり合った板根なのである。木を伐採してしまうと水と一緒に表土は流出をはじめ、それが繰り返されるうちに白い砂だけの地面になってしまう。どうも、その辺りが砂漠化のメカニズムのようである。植物を始め生物の活動が盛んな表土は、日本では50cm程度であるが、アマゾンでは5cmしかない。飛行機から下を除くと年々白い部分が増えていっているのが確認できる。
ココナッツ農園 ココナッツ農園 ココナッツ農園
pic中規模のココナッツ農園 7000~8000ha
タパジョス川 タパジョス川 アルタ・デ・シャン アルタ・デ・シャン
picタパジョス川 picインディオの聖地 アルタ・デ・シャン
焼畑農業 焼畑農業 焼畑農業 焼畑農業
pic焼畑農業。アマゾンの樹木は板根を持つものが多く、それが土留めの役をしている。開かれた農場は、冠水と渇水を繰り返すうちに洗われて砂になる。

クッション材
picPOEMAが始めたココナッツ繊維
と生ゴムから作るクッション材:POEMATECK

ナザレさんからのリクエスト

 ココナッツ繊維からクッション材を作ることに成功した彼らは、次のプロジェクトとして環境負荷の低いライフサイクルの短い植物や植物系農産廃棄物の繊維を利用して何かを生み出したいと考えていた。繊維からの産品と言えば、紙と布、そこで私の工房に声がかかったと言うわけである。


クッション材 クッション材 クッション材 クッション材

初の紙漉ワークショップ2000年8月
 2000年8月の終わりに初めて、アマゾンに降り立った。 POEMARの事務局は、UFPA(パラ連邦大学)の中にあった。森の中にある秘密基地、アジト、そんな感じだった。そこに国連などの国際機関、いろんな国の研究者が出入りしていた。挨拶が終わると、たったひとつの注意事項が言い渡された。何があっても謝るな。日本人は、すぐ謝るから。法律があっても字も読めず、社会の決まり事約束事があって、それに従って暮らしている人なんてほんの僅かで、万事がその場の交渉で成り立っている。謝ったら、そこからつけ込まれると言われた。
アマゾンの天然繊維から紙を作りだす紙漉きワークショップは、生肉工場を改装して作られた職業訓練校クーホ・ベーリョで行われた。そこにアマゾン川流域の各村々から簡単にたくさん手に入る植物を持って30人ほどの人が集まった。
 クーホ・ベーリョには、木工、焼き物、織物、グラフィックデザイン、印刷、ダンス、演劇などの教室があり、リサイクルペーパーも教えていた。紙文化の発達した日本では、植物から紙が作られている事は常識であるが、紙から紙を作り直すことは、知っていても、その紙が何からできているのかは、知らないようだった。対象年齢は、15才~20才で、何もしていないよりましと言う感じで通ってきている。
 そこを会場にしてワークショップが始まった。一日一村で20日間、毎日違うアマゾンの植物を紙にしていくのは、楽しかったけど、さすがにきつかった。仕事は、どうしても乱暴になるし、雑だった。でも、誰もがこれまでゴミと思ってきた草や農産物の皮から紙ができてしまうことに感動して、目を丸くして、村に新しい仕事を作る意気込みと熱気で、会場はいっぱいになった。

日曜日のバザール
 日曜日毎に公園と言う公園でバザールが開かれる。お菓子や熱帯魚、革製品、アクセサリーに混じって、何処から仕入れてきたのか分らないようなものがたくさん並ぶ。ワークショップ参加者の一人アントニオ君は、ベレン市の沖にあるコンブー島に住み、蔓で籠を編んでバザールに出展するカボクロ。事もあろうにワークショップで作った紙の灯りがそのまま店頭に並べられている。南北アメリカ大陸では、芸術に対する評価は高いが、工芸に対する評価は低い。工芸は、インディアン、インディオたちの暇つぶしの手慰みとして扱われてきたからだ。しかし、いきなり昨日初めて作った物をバザールに出してしまう厚顔さには驚かされた。でも、確かに新製品なのだから人々の興味を引かないはずが無い。商魂逞しいと言うべきか。
森 アサイ椰子の実
pic最近人気の健康食品アサイ椰子の森 picアサイ椰子の実 

アマゾンの救世主か?クワラ
クワラ
 pic乾燥性土壌に強く荒廃地でも育つ。
この葉を収穫して手漉きの紙を作り出す。
 何人かの参加者から持ち込まれたのがクラワだった。クラワは、パイナップルの仲間だけど、実が小さいため誰も食べない。乾燥地帯であるアマゾン中流域のサンタレン周辺が原産地でインディオたちは、葉脈を取り出して紐やロープを作り丸木舟を川につないだり、ヘッジ(ハンモック)を作ったりしていたという。紙の原料としては、持ってこいだ。パラ州政府は、乾燥地帯が原産である事に着目して砂漠化が進む荒廃地での植栽やクローン技術を用いた増殖を実験していた。そして、病害虫対策のために日系人が編み出したアグロフォレストリーの考え方と組み合わせると、クラワが日陰を作り他の植物を乾燥から守るので再び、緑が帰ってくると言う訳である。
クワラの花 クワラ クワラ クワラ
 picクラワの花 picクラワはパイナップルの仲間です。
実は小さくても誰も食べない。
pic クラワを使ったアグロフォレストリー
アグロフォレストリー アグロフォレストリー
pic 日系人が考え出したアグロフォレストリー

紙漉き工房の誕生
 ワークショップから半年、突然JICAから専門家としてアマゾンでの紙漉指導に当たって欲しいとのオファーがあった。地球環境に少しでも貢献したいと言う思いと見たことも無いような植物の宝庫での紙漉に対する好奇心から、申し出を引き受けることにした。その半年後、とりあえずの紙漉道具をもって、アマゾンに向かった。勿論、カウンターパートは、POEMARである。
 工房にする予定の場所を紹介するからと連れて行かれた先は、シダ―ジ・ベーリャ(旧市街)のポルト・ド・サウ(塩の港)の傍にあるレンガでできた18世紀の奴隷市場の跡だった。紙漉きの指導は聞いていたけど、工房の設計、組み立てまでは頭に無かった。しかし、こんな歴史的な建物を何のためらいもなく工房にしてしまう事の大胆さは、まったく驚きだった。
 機材のレイアウト図を描き、木製の台、漉舟、打解石台、圧縮機など最低限必要な機材を注文した。限られた時間の中で計画的に仕事を進めたいと思ったが、それからが大変だった。作業台の注文を 出して、明日作って持って来るから始まって、今週末、来週初め、来週中と延びて、とうとう一ヶ月も待つ事になってしまった。イライラしている私を見て、POEMARのスタッフからアマゾンだからねと笑われた。時間の流れ方がまるで違う。さらに届いた作業台は、みんな魅力的な足の形をした猫足細工が施してあった。こんな足にしてくれと言った覚えは無いけど、仕事は、実に美しかった。大切にしているものが違う。ポルトガル人が作ったラテンの世界。

担い手探し
紙漉き
 picアマゾンペーパーの日本式?
紙漉き
 紙漉き技術を一度に多人数に覚えてもらうのは、難しいと考えた。日本の和紙にも特殊な技術はあるが、基本は、実にシンプルなのである。故にその工程の一つ一つには、文章にし難いさじ加減と言うべきディテールが存在する。それに加えてアマゾンを意識していろんな植物を原料にしようと思うと別に知識や技術も必要になる。そのための担い手人選のためのワークショップを行う事にした。経済的に余裕のある層の人々で、我こそはと思う人たちが15人集まってくれた。一週間かけたワークショップで2人を選び出したが、それより気になったのは、お手伝いのカボクロのエジソンさんの仕事だった。
何をさせても丁寧で仕上げが美しい。彼を紙漉き技術の担い手として選択できないのか尋ねたところ、手を見て欲しいと言われた。森林伐採の仕事で利き手の右手の指が二本欠損していた。しかも、道具を操るのに大きな役割のある小指が無かった。それでも構わず、漉舟の前に立たせて道具を握らせた。最初は、確かにぎこちなかったが、驚くべき早さで、道具を操り始めた。
紙漉き 紙漉き 紙漉き 紙漉き
 エジソンさんに限らず、アマゾンでは、怪我をすると永い時間とお金をかけてなるだけ元通りに治療するより、短期間でそれ以上に感染症などで悪化しないように切除という方法がとられる事が多い。歯の治療も、さっさと抜いて入れ歯にしてしまう方を選択する事が多い。ある時、水俣で古老にそんな話をしたら、日本も昔は、そうだったと言われた。あらためて、エジソンさんを担い手の一人にするようお願いをした。三人の担い手のうち一人は、既にこの世にいない。担い手であり、担い手でありながらボディーガードも務めてくれていたワグナーさんは、その三年後、僕がアマゾンに来るのを待っていたように現地到着2日後に亡くなった。一週間高熱が続いて、医者にかかった翌日だったという事だった。原因は、良く分からなかったようで、これもアマゾンでは、悲しいけど当たり前だと言われた。まだ30歳だった。

誕生!アマゾンペーパー
アマゾンペーパー
 いったん基本的な技術を覚えると、担い手は、新人に仕事を教え、彼らはどんどんと手漉き紙を生産していく。日本の様な紙文化があるわけではないので、その紙を使っていろいろなプロダクトを生産するところまでが仕事だ。毎週のように行われる環境や自然をテーマにした国際会議の資料を綴じるファイルケース、様々な種類の小箱、フォトフレーム等、どれも格好良くできている。ラテンの美的センスは、やっぱり凄い。展示会のレイアウトを任されて一度良い経験をした事があった。どれも面白いし、魅力的だ、だから、全てを前に出そうとする。そういった意識が展示を曖昧なものにして、魅力を潰し合ってしまう。一つだけ見せれば良い。その一つが来てくれた人を魅せてしまう。どれもこれも見せようとしてはだめだ。アマゾンには魅力的なものはたくさんある。一つ手にすると次から次にと興味が惹かれて行く。魅せる物は一つで良い。アマゾンで学ばせてもらっている自分を意識した。
アマゾンペーパー アマゾンペーパー アマゾンペーパー アマゾンペーパー

カランゲジーラ
picカランゲジーラは、大きくなると体調20センチ、動物を殺傷する程の毒は無いが、この毛が、皮膚に刺さるとモーレツな痒みがでる。
 原料の中心は、クラワ。契約している小規模なたくさんの農家にアグロフォレストリー混植栽培を呼び掛け荒廃地の緑化を図りながら、根絶やしにしないで葉だけを収穫してアマゾン流の里山を実現させている。時として届いた原料を広げると、そこにはタランチュラと良く似たカランゲジーラという巨大な蜘蛛が居たりする。日本人は、これを唐揚げにして食べるのだろと言われて、彼らの中では、日本も中国も東南アジアも入り混じって、僕は、オリエンタル人なのだと思い知らされる。
 その原料を紙にする人が居て、その紙から商品を企画する人が居て、商品を作る人が居る。アマゾンペーパーは、あっという間に60家族300人程の人々の生活の基盤となって行った。

エピローグ
 アマゾンペーパーが組合と言う形で法人を取得したところで足掛け9年に渡る私のアマゾンでの活動は、終了した。カボクロと言われる貧困層、二層経済、砂漠化、温暖化、人口爆発、教育、実にたくさんの事を学ばせてもらった。
 技術支援活動をしながら、日本とアマゾンは、どちらが永く生き延びるのだろうかと言う事を良く考えた。サスティーナブル、持続可能な世界は、日本よりむしろアマゾンなのではないだろうかと感覚的に思った。生命にとってより良い環境。そのスケールがあまりに大きく、人の手が伸びていないエリアが多いためにそう思うのかもしれなかった。お金は稼げないけど、食っていける。遊びやせんと生まれけむ。遊びとは、自然と戯れ口を満たすと言う事だ。ここには、人が生きる幸せがあると思った。
アマゾンの夕日  アマゾン
picアマゾンの夕日は絶品です pic資源を取り尽くされた東部アマゾン、人の数だけがやたらと多い。
荒廃地の緑化に使われるクワラを使って日本式の紙漉きを教えた。
カバクロの就労の助けになって欲しい。
 
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